読む・打つ・書く
- 2024年5月14日
- Monthly Essay
キャッチ-なタイトルだが、実は三中信宏氏が東京大学出版会から上梓した本のタイトルである。「飲む・打つ・買う」のリズムにつられて手にしてみると、“読む”は読書論、“打つ”は書評論、そして“書く”は執筆論のことだった。どれも自分と関わりのある話なので興味深く読んだ。私と違うところを中心に、「読む・打つ・書く」に私論を交えてみたい。
まず“読む”。私もゆ~っくりと週に1冊ほどは本を読んでいる。ゆ~っくりと言っても読むスピードが遅いというわけではなく、単純に読書にかける時間が短いだけだ。だいたい一日の終わりに読むので、疲れていると10分くらいで睡魔に襲われる。そのためなかなか進まない。睡魔に襲われずにしっかり読むのは論文だ。これは仕事の空いた時間に読み込むのでかなり集中して読んでいる。なので家では本、仕事場では論文を読んでいることになる。本では歯科関係のものは読まない。日中ずっと歯科という狭い世界にどっぷり浸かっているんだから、オフの時間は歯科以外の広い広い別世界の本を読む。そのかわり仕事中に読む論文は歯科(特に歯周病関係)の最新情報ばかりである。
“打つ”の書評はそんなにしょっちゅう依頼が来るわけではないが、相手(書評依頼された本)あっての仕事なので、単なる執筆と違って別の緊張感がある。小洒落たエッセイをこなせるくらいのセンスが必要なのが書評だと思っている。いや書評でセンスが分かってしまうので、緊張感があるのかもしれない。今まで書いた書評は圧倒的に先輩からの依頼だったので、これも緊張感にONである。
“書く”に関しては、「人生でこんなにたくさん書くなんて思っていなかった」というのが本音だ。2024年の連載を加えると400か月以上の連載をしているし、書籍も21冊上梓している。400か月というと33年間毎月書いてる計算になるので、結構なボリュームだ。私の場合、連載は1年くらいの期間設定が多いが、いつも連載が始まる半年くらい前には全て入稿が終わっている。編集者から「こんな連載しませんか?」と企画され、書けると思ったら一気に書いて「こんな感じですか~?」といいながらすべての原稿を送るスタンス。編集者に催促なんてされたことはないし、逆に、「火事になったら私の原稿をすべて持って逃げてくれ」とお願いしている。
書きながら悩むことはほとんどない。書く前に悩んだら書かない。そして「書き終えた自分がイメージできる」と思った瞬間に私の中では執筆は終わっている。後はキーボードに乗せた指が仕事を進めてくれる。なんでもそうだと思うが、「できるかどうかわからない」と悩むより、「ゴールした自分がイメージできるかどうか」という視点のほうがプラクティカルな気がする。
コロンビア大学医学部ではナラティブのトレーニングの一環として、文学テクストを読み込む精密読解に力を注いでいるとのこと。「読んで書くこと」は「聴いて話すこと」の有効なトレーニングになるからだ。やっぱり読書と論文抄読は止められまへんな~。