書店で徘徊|PEC事務局|歯科衛生士・歯科医師セミナー

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書店で徘徊|PEC事務局|歯科衛生士・歯科医師セミナー

書店で徘徊

 たまの休日に書店によく行く。バスと電車を乗り継いで“わざわざ”行くのである。車で行かない理由は、その後に上機嫌で乾杯するためだ。大きな書店、小さな書店、どちらも大好物。日本から書店が減っていると言われて久しいが、小さいけれども個性的な書店はじわじわ増えているように感じる。その書店の個性が自分に合えば初対面からうれしいし、自分の好みとは違う本たちも新たな世界に飛び込むきっかけになるかもしれない。

 大きな書店ではそこにある知の存在感に圧倒される。その感覚は図書館でも同じだ。そこに配架されてる本のほとんどは、私が読まない本であり、読めない本である。私の読書量なんかたかが知れてて、だいたい年間100冊ちょっとくらい。日本で出版される本は年間7万冊くらいらしいので、1日あたり200冊。なんと私の年間読書量は一日に出版される新書の半分ということになる。

 つまり書店には読まない本や読めない本で埋め尽くされているわけで、その空間は自分の無知を思い知らされる仕掛けになっている。“無知の知”なんてソクラテスに教えてもらわなくても書店に行けば実感できるわけである。そんな中からどうやって選書するのかはかなり切迫した課題である。だって読める数は知れてるし、、、

書店の店内を徘徊していて、「本と目が合う」ということはある。そういう本はたいてい喜びに満ちた内容で、やっぱり出会う前から赤い糸で結ばれてたんだなんて乙女チックに思う。ただこれは良かった本との出会いが良かったと遡及的に都合の良い物語を作ってるだけかもしれない。

 運命の人との出会いは赤い糸が導いているという物語は素敵だ。扉を開けたら“相手”がそこに立っていたという偶然にときめく。ただ自分で扉を開けるというのはなんとなく偶然という感覚からは遠いような気がする。相手は無限にいるわけだから、その無限の相手がたまたま扉を開けたときに“あなた”がそこに立っていたという偶然のほうがイメージとして近いかもしれない。

 書店で本と目が合ったとき、私が本を選んだのではなく、本が私を選んだ偶然にときめく。無限にある本の中から私がその本を選んだのではなく、無限にある本の中でその本が私を選んだ。その本を読むべき主体に私が選ばれた。選書ではなく選人。そんなたわいもないことを考えながら書店を徘徊した後のビールは美味い。

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