「わからない」がわからない
- 2024年4月15日
- Monthly Essay
なぜか後輩にしたわれるより先輩にかわいがられることが多い。ワインの会に誘われるのは大学の先輩だし、懇意にさせていただいている先生方は年上の大学教授だったりする。単なる開業医がいろんな大学のいろんな分野の教授とつながりを持てるのは喜びを通り越して恐縮である。でも後輩とのつきあいとなると、、、ほとんどない!これはきっと私の人格になんらかの欠落があるはずだ。
小学校のときからずっと言われ続けたことがある。担任の先生が懇談のたびに私の親に向かって「山本君は、勉強はよくできるんですが、もう少し勉強のできない友達の面倒をみてあげてほしいです」。成績は優秀なので(自分で言うな!)、クラスの底上げに協力してほしいとの依頼だ。そんな依頼くらいで私のわがままが修正されるはずがない。人の勉強の面倒をみる時間があれば、それを自分の勉強に回したい、、、というわがまま。
ときどき行くレストランにバイトのホールスタッフ(女性)がいる。マネージャーによると、彼女は私と同じ大学(学部は違う)の学生でレストランスタッフとしては異質ですとのこと。その彼女に「家庭教師や予備校の講師をするほうがバイト代よくないですか?」と聞いた私は、「飲食の仕事してみたかったので」という返事くらいが返ってくると思っていたが、帰ってきたのは変化球だった。
「教えている相手が「わからない」ということがわからないんです。」
思わず「わかるわかる」と直球を返す私。もしかしたら彼女も私と似たような欠落があるのかもしれない。
論理の道筋は感覚で理解できるところがある。感覚で理解しているところを言葉で説明するのは難しい。新しいPCソフトでもサクサク使える人に「どうして使い方がわかるの?」と聞くようなものだ。私の場合、家庭教師のバイトはほとんど毎日していたので、教えることは得意だと思っている。自分の息子もできないときには頭を叩くというハラスメント付きで教えていた。なので後輩にしたわれないのはきっと私の“面倒見が悪い”からだと思う。
レストランの彼女は今度彼氏とディズニーランドに行くらしい。もちろん“先輩”の彼氏。自分が仕切って彼氏を鼻で使うとのこと。私はレストランで彼女と顔を合わせるたびにニヤッとしてしまう。「彼女も私と似たような欠落を埋めることなく、人生を楽しむんだろうな」なんて思いながら、、、だって彼女をかわいがる私は彼女の先輩だし。