噛みつく
- 2024年11月8日
- Monthly Essay
学会でとある大学の教授に噛みつかれたことがある。実際に私の手や首なんかに噛みついたわけではない。私の講演内容に嚙みついたのだ。リスクアセスメントに関する講演をしたのだが「先生のアセスメントには咬合の評価が入っていないじゃないか」というふうに噛みついてきた。「咬合の評価はどう考えていますか?」であれば私も“噛みつき”ではなく“質問”ととらえるところだが、とってもいや~~な気持ちになった。その教授は咬合に関する研究をされているのは存じ上げていたし、著書も出されている。私はにこっと笑いながら(ひきつってはいるが)「先生からそういう質問があると思っておりました」と答えた。歯周病のリスクアセスメントに咬合を盛り込むのはなかなか手ごわくて、広く認められたものは今のところない。なので心の中では「じゃあ、やってみろよ」と思いながらやんわりと上手く取り入れるのは難しいと伝えた。ここで提案。学会での質問は建設的で紳士的なものにしたほうが良いと思う。
SNS上でもこのような噛みつきはあるが、私はあまり経験していない。匿名だったりしたら噛みつき放題なんだろうと想像する。このように我々は相手を追求したり追い込んだりするようなときに“噛みつく”という言葉を使う。そのため言葉のイメージとしてはネガティブだ。
でもこれには一つだけ例外がある。それが獅子舞。獅子舞に噛まれることはとっても縁起が良いとされている。その理由はいくつかあって、獅子舞で邪気を噛んでくれるので厄払いができるとか、獅子舞の場合は“噛みつく”ではなく“神付く”なので噛まれた人には神が付くとか言われているのだ。私はここ2年連続で正月に噛まれている。どれだけ私の邪気が減ったのか、どれだけ私に神が付いたのかは不明だが、年明けからとっても縁起がいい気持ちになる。横笛と太鼓に合わせて舞う男性二人演じる獅子舞は迫力満点。鳥肌が立つくらいカッコいい。あれだったら噛みつかれなくても、見てるだけで邪気が祓えそうだ。学会で噛みつかれてとりついた邪気を獅子舞が噛みついて取り去ってもらう。やっぱり咬合って大事なんだよな。