律速段階
- 2024年1月15日
- Monthly Essay
洞爺湖にあるホテルに行くのに初めてバスを利用した。いつもはレンタカーを借りて自分のペースで移動するのだが、「運転も疲れるだろうからたまにはバスで行ってみよう」という家内の提案に乗った。自分のペースと書くと“のんびり”とか“ノープラン”のようなイメージかもしれない。でも私の場合はGoogle Mapを開きながら移動時間を計算し、途中で立ち寄るスポットを調べ尽くすので案外タイトな計画になってしまう。それを熟知している家内だからこその提案だったと思う。
札幌のバス乗り場で早めにバスに乗り込んだ。どうもいろんなホテルに送るためのバスのようで、さまざまな客層で埋まっていった。でも出発時刻になってもバスは動かない。5分経ち10分経ってちょっとイライラしだしたころ、乗車に遅れている客がいるとのアナウンス。さらに少し遅れて若いカップルが乗り込んできた。こちらも拍手で迎える心の余裕もなく、しら~っとした空気のなかを二人は“普通に”私の横を通り過ぎて行った。
この30分ほどの遅れがバタフライ効果のように影響がでなければいいが、、、という気持ちを封印しバス旅を楽しむことにした。自分では選ばないルートを進むバスに「さすが!」と感心し、自分で運転していたら見えない景色を楽しんだ。途中のうたた寝や読書もバス旅ならでは。バタフライの風圧は洞爺湖まで影響することもなくホテルに到着した。
レンタカーを運転していると必ず遅い車にイライラする。その車の後ろには何台もの車がトロトロと金魚のフン状態で連なっている。いつも「あの車が律速段階か」とつぶやきながら、会話や景色に助けを求める自分がいる。でもバス旅では律速段階は気にならない。もしかしたらバスの運転手さんは気になっているかもしれないが、我々にはバスの前後は見えないのだし、そもそも乗ってるバスが律速段階の可能性も高い。
こうなってくると自分のペースというもの、あるいは自分のペースだと思っていたことが、本当に自分にとっていいことなのかが疑わしくなってくる。遅れて乗車してきた二人は、自分のペースを乱されたと思うからイライラしたわけで、「彼らが律速段階」と思うからバタフライが気になったわけである。たまには自分のペースを崩す余裕を持ちたいものだ。そういえばリゾート地でリゾート感覚に浸る秘法は「ゆ~~~~っくり」歩くことだと思いだした。
ネットやAI社会で情報の飛び交うスピードがどんどん加速している。でも読書という目から脳に取り込むスピードは速くはならない。つまりここが律速段階。情報発信元から頭に入るまでのプロセスで“読むという行為”が律速段階なのだから、読書はトロトロ運転の先頭車ということになる。たくさんの本はそれに続く金魚のフン。いや~~、これから遅い車を見つけたらエールを送りたくなるかも。でも本は自分のペースで読みたいよね。