書評の書評
- 2026年4月10日
- Monthly Essay
ときどき書評依頼がある。長年この世界にいると積み重なった書評の数もそこそこある(数えたことないけど、、、)。振り返ってみると私の場合、圧倒的に先輩からの書評依頼が多い。後輩からの依頼は数えるほど。これもフ・シ・ギ。先輩にかわいがってもらっているという捉え方もあるが、後輩から慕われていないのが大きいかもしれない(笑)。だって、私は後輩の面倒をまったくみないから。『先輩にかわいがってもらってるんだったら、その恩返しに後輩の面倒をみるべき』という論理は理解できる。この脈々と続く連鎖は芸能界では維持されているではないか。
私の場合、誰かと“つるむ”とかみんなで“群れる”のが苦手なのが原因かもしれない。家内を除けば、“おひとり様”が好きなのだ。学会やシンポジウムに参加するのが大好きな人がいる。新しい知見への出会いを求めているのもあるだろうが、どう見ても友人たちと会って、ワイワイする時間を楽しみにしているような人もいる。それで得られる情報もあるとは思うが、私の場合その目的で学会やシンポジウムに参加することはない。基本的に学会で「教育講演をしてください」と依頼を受ければ参加するが、呼ばれてもいないのに参加することはない。どう考えても後輩との接点が生まれないような行動だ。
閑話休題。書評は相手(その本や著者)あっての執筆なので、“いつもの執筆”というわけにはいかない。私の書評を見た読者が「その本を読んでみたい」と思ってもらわなければならない。それが“書評の掟”である。かといって“褒めちぎる”のもなんか違う気がするが、それでも書きながら著者の視線をチラチラ感じる。また書きあがった書評を見て、著者やその本の担当編集者が「本書の本質を伝えてくれている」とか「努力が報われた」というような“喜びの声”が上がらなければならないというのも“書評の掟”だと思っている。掟の多い書評は縛りがあるとはいえ、書いたら速攻、著者や担当編集者から喜びの声が届いたりする。これは“書評の書評”であり、通常の執筆ではないことだ。ちなみに書評用の本が届いたらその日のうちに読了し、その日のうちに書評を書き上げるのが私の掟。なので担当編集者は喜びの前に驚きのメールが届くのである。