訂正可能性の哲学 東浩紀著
- 2024年4月20日
- 書籍紹介
「正義とは訂正可能性のことだと表現できるかもしれない。人間はつねに誤る。正義はその訂正の運動でしかない。正義は開かれているのではなく、訂正可能なことのなかにある。P133」“家族”を起点に始まる著者の哲学的思索は過去の哲学者(ウィトゲンシュタイン、クリプキ、ルソーら)を引き合いに展開する。その展開そのものが訂正可能性を担保したものであるところに哲学の活路があると考えているようだ。私の誤読も訂正可能性に開かれている。
ブログ
「正義とは訂正可能性のことだと表現できるかもしれない。人間はつねに誤る。正義はその訂正の運動でしかない。正義は開かれているのではなく、訂正可能なことのなかにある。P133」“家族”を起点に始まる著者の哲学的思索は過去の哲学者(ウィトゲンシュタイン、クリプキ、ルソーら)を引き合いに展開する。その展開そのものが訂正可能性を担保したものであるところに哲学の活路があると考えているようだ。私の誤読も訂正可能性に開かれている。
最近の投稿